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正月の一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め・此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく・日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく・とく(徳)もまさり人にもあいせられ候なり
文字は是一切衆生の心法の顕れたる質(すがた)なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知って相(そう)する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福(ひんぷく)をも相するなり、然れば文字は是れ一切衆生の色心不二の質なり
一生はゆめ(夢)の上・明日(あす)をごぜず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず
御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ、「一切世間の冶生産業は皆実相と相違背(いはい)せず」とは此れなり
一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽(ゆうらく)なきなり
仁王経に云く――大火国を焼き万姓焼尽(しょうじん)せん或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊(ぞく)火あらん是くの如く変怪(へんげ)するを三の難と為すなり。
「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ智に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」
なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「緒余怨敵(しょよおんてき)・皆悉摧滅(かいしつさいめつ)」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給え、あえて臆病にては叶うべからず候
正法は一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道な(成)るべし、千経・万経を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず
夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす
蔵 (くら)の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし
たとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提(せんだい)の者なり
十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し
仏教の四恩とは一には父母の恩を報ぜよ・二には国主の恩を報ぜよ・三には一切衆生の恩を報ぜよ・四には三宝の恩を報ぜよ
塚原の堂の大庭・山野に数百人――かずをしらず集りたり、――利剣をもて・うり(瓜)をきり大風の草をなび (靡)かすが如し、仏法のおろかなる・のみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ――処を一一にせめたるに、念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり
法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前 (にぜん)の経とをぼしめせ
仏眼をかつて時機をかんがへよ仏日を用(もっ)て国土をてらせ
爾前(にぜん)経にいかように成仏ありともと(説)け・権宗の人人・無量にい(言)ひくる(狂)ふとも・ただほうろく(焙烙)千につち(槌)一つなるべし、法華折伏・破権門理とはこれなり
正直捨方便 (しょうじきしゃほうべん)・不受余経 (ふじゅよきょう)一偈 (げ)の経文を女のかがみ(鏡)をすてざるが如く・男 (おとこ)の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候
現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはな(鳴)けどもなみだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏(ひとえ)に法華経の故なり、若しからば甘露のなみだとも云つべし
天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか
一切経の功徳は先(さき)に善根を作(な)して後(のち)に仏とは成ると説くかかる故に不定なり、法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即仏なり
五百塵点劫(じんてんごう)の当初(そのかみ)・凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟を開き給いき、後に化他(けた)の為に世世(せせ)・番番(ばんばん)に出世・成道(じょうどう)し在在(ざいざい)・処処(しょしょ)に八相作仏(そうさぶつ)し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知(みし)らしめ四十余年に方便教を儲(もう)け衆生を誘引(ゆういん)す
人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり
今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁(けちえん)の者一人も無し権実の二機悉(ことごと)く失(う)せり、此の時は濁悪たる当世の逆謗(ぎゃくぼう)の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法連華経を以て下種と為す
一生補処(ふしょ)の菩薩は中夭(ちゅうよう)なし聖人は横死せず
我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ・人師の言語は無用なり
土沙は多けれども米穀は希(まれ)なり木皮は充満すれども布絹は些少(さしょう)なり、汝只正理を以て前(さき)とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ
所詮・一切の人にそし(誹)られて候よりも女人の御ためには・いとをし(最愛)と・をもはしき男に・ふびんと・をもはれたらんにはすぎじ、一切の人はにくまばにくめ――法華経にだにも・ほめられたてまつりなば・なにか・くるしかるべき
生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり