止観の第八に云く――「病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む・二には飲食(おんじき)節ならざる故に病む・三には座禅調(ととの)わざる故に病む・四には鬼便りを得る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む」
五逆と謗法とを病に対すれば五逆は霍乱(かくらん)の如くして急に事を切る、謗法は白癩病の如し始は緩に後漸漸に大事なり
我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉(ぶんざい)は当世には日本第一の大人なりと申すなり
伝教大師云く「正像稍(やや)過ぎ已(おわっ)て末法太(はな)はだ近きに有り法華一乗の機今正しく是其の時なり」
仁王経に云く――「若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」
末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり
総じて余が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし
日蓮世間の体(てい)を見て粗(ほぼ)一切経を勘(かんが)うるに御祈請(きしょう)験(しるし)無く還(かえ)つて凶悪を増長するの由(よし)道理文証(もんしょう)之を得了(えおわ)んぬ、終(つい)に止むこと無く勘文一通を造(つく)り作(な)して其の名を立正安国論と号す
日蓮が弟子等は臆病(おくびょう)にては叶(かな)うべからず、彼れ彼れの経経と法華経と勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時・爾前迹門(にぜんしゃくもん)の釈尊なりとも物の数ならず何(いか)に況(いわん)や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵天王の位にて民とも下(くだ)し鬼畜なんどと下しても其の過(あやまち)有らんやと意を得て宗論すべし
彼の時鳥(ほととぎす)は春ををくり鶏鳥(にわとり)は暁(あかつき)をまつ畜生すらなをかくのごとし何(いか)に況(いわん)や仏法を修行せんに時を糾(たださ)ざるべしや
問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇(かいだん)と題目の五字となり
あわれなるかなや・なげかしきかなや日本国の人皆無間大城に堕(お)ちむ事よ、悦(よろこば)しきかなや・楽(たのしい)かなや不肖(ふしょう)の身として今度心田に仏種をうえたる
末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあな(蔑)づり法をいる(忽)かせにして悪道にお(堕)つべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあが(崇)め仏を供養すべし
末代の悪人等の成仏・不成仏は罪の軽重に依らず但此経の信不信に任す可きのみ――法華経の心は当位即妙(とういそくみょう)・不改本位(ふかいほんい)と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり
父に於て三之れ有り法華経・釈尊・日蓮是なり、法華経は一切衆生の父なり此の父に背(そむ)く故に流転の凡夫となる、釈尊は一切衆生の父なり此の仏に背く故に備(つぶ)さに諸道を輪(め)ぐるなり、今日蓮は日本国の一切衆生の父なり
法華経は獅子王の如し一切の獣(けもの)の頂きとす、法華経の獅子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし
須く心を一にして南妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んのみこそ今生人界の思出なるべき
一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんややす(易)き雨をだに・ふらし給はず況やかた(難)き往生成仏をや
謗法(ほうぼう)の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓(どっく)の縁と成さんが為なり
法華経を以て国土を祈らば上(かみ)一人より下(しも)万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護(ちんご)国家(こっか)の大白法なり
念仏も法華経も一(ひとつ)なりと云はん人は石も玉も上臈(ろう)も下臈も毒も薬も一(ひとつ)なりと云わん者の如し
すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗(そら)にせざりしかども仏に成りぬ提婆(だいば)は六万蔵を暗にして無間に堕(お)ちぬ・是れ偏(ひとえ)に末代の今の世を表するなり
日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず
現世に云(いい)をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず
汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事・佞臣(ねいしん)の至り不忠の極(きわま)りなり
我が面を見る事は明鏡によるべし・国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず
過去久遠五百塵点(じんてん)のそのかみ(当初)唯我(ゆいが)一人(にん)の教主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)のふるまいなり
予が法門は四悉檀(しつだん)を心に懸(か)けて申すならば強(あなが)ちに成仏の理に違わざれば且(しば)らく世間普通の義を用ゆべきか
法華経流布の国に生れて此の経の題名を聞き信を生ずるは宿善の深厚なるに依れり
万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壌(つちくれ)を砕かず、代は羲農(ぎのう)の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり