■9月1日

世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞(じ)して還(かえ)りたまわず、是れを以て魔来り鬼(き)来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず

立正安国論(17ページ)

■9月2日

此の世界をば娑婆(しゃば)と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍(のうにん)と名けたてまつる

四恩抄(935ページ)

■9月3日

夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし、五義とは一には教・二には機・三には時・四には国・五には仏法流布の前後なり

顕謗法抄(453ページ)

■9月4日

八歳の竜女・既に蛇身を改めずして南方に妙果を証す況や人界に生を受けたる女人をや

聖愚問答抄(491ページ)

■9月5日

ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり

諸法実相抄(1360ページ)

■9月6日

天台大師云く「修多羅と合う者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず」等云云、伝教大師云く「仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫(なか)れ」

開目抄(219ページ)

■9月7日

月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く

顕仏未来記(508ページ)

■9月8日

水すまば月・影を・をしむべからず風ふかば草木なびかざるべしや、法華経の行者あるならば此等の聖者は大火の中をすぎても大石の中を・とをりてもとぶ(訪)らはせ給うべし

開目抄(207ページ)

■9月9日

愚人にほめられたるは第一のはぢなり

開目抄(237ページ)

■9月10日

今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし

開目抄(233ページ)

 第2回国諫 文永8年

■9月11日

父母の頸(くび)を刎(はね)ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用(もち)いじとなり、其の外の大難・風の前の塵(ちり)なるべし

開目抄(232ページ)

■9月12日

日蓮といゐし者は去年(こぞのとし)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸はねられぬ、此れは魂魄(こんぱく)・佐土の国にいたりて返年(かえるとし)の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをく(贈)ればをそろ(畏)しくて・をそろ(怕)しからず・み(見)ん人いかに・をぢぬらむ

開目抄(223ページ)

 竜の口法難 文永8年

■9月13日

相州のたつのくちこそ日蓮が命(いのち)を捨てたる処なれ仏土におと(劣)るべしや――娑婆(しゃば)世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬(かたせ)・片瀬の中には竜口(たつのくち)に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか

四条金吾殿御消息(1113ページ)

■9月14日

三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり・とら(寅)のきざ(刻)みの成道なり、仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり

上野殿御返事(1558ページ)

■9月15日

日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん――経文に我が身・普合せり御勘気をかほ(蒙)れば・いよいよ悦びをますべし

開目抄(203ページ)

■9月16日

昨日は人の上・今日は我が身の上なり、花さけばこのみなり・よめ(嫁)のしうとめ(姑)になる事候ぞ、信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱え給うべし

寂日房御書(903ページ)

■9月17日

日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきを・たすけんがために申す法門なり

種種御振舞御書(913ページ)

■9月18日

不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり、父母となり其の子となるも必ず宿習なり

寂日坊御書(902ページ)

■9月19日

蒼蝿(そうよう)驥尾(きび)に附(ふ)して万里(ばんり)を渡り碧羅(へきら)松頭(しょうとう)に懸(かか)りて千尋(じん)を延(の)ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う・何ぞ仏法の衰微(すいび)を見て心情の哀惜(あいせき)を起きざらんや

立正安国論(26ページ)

■9月20日

日蓮貧道の身と生れて父母の孝養・心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べしと申せし事これなり

種種御振舞御書(913ページ)

■9月21日

今日秀等専ら彼等小経を抛(なげう)ち専ら法華経を読誦し法界に勧進(かんじん)して南無妙法蓮華経と唱え奉る豈(あに)殊忠に非ずや

滝泉寺申状(852ページ)

 熱原法難起る 弘安2年

■9月22日

父の恩の高き事・須弥山(しゅみせん)猶(なお)ひき(低)し・母の恩の深き事大海還(かえ)つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし

上野殿御消息(1527ページ)

■9月23日

夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむね(胸)の間にあり、これをさと(悟)るを仏といふ・これをまよ(迷)ふを凡夫と云う、これをさと(悟)るは法華経なり、も(若)ししからば法華経をたも(持)ちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ

上野殿後家尼御返事(1504ページ)

■9月24日

さいわひなるかな法華経のために身をすてん事よ、くさ(臭)きかうべ(頭)をはなたれば沙(いさご)に金(こがね)をかへ石に珠(たま)をあきな(貿)へるがごとし

種種御振舞御書(912ページ)

■9月25日

師子のねぶ(眠)れるは手をつけざれば・ほ(吼)へず迅流(はやきながれ)は櫓(ろ)をささへざれば波たかからず盗人(ぬすびと)はとめざれば・いからず火は薪を加えざれば・さかんならず、謗法(ほうぼう)はあれども・あらわす人なければ王法もしばらくはたえず国も・をだ(穏)やかなるに・にたり

報恩抄(312ページ)

■9月26日

月は影を慳(おしま)ざれども水なくば・うつるべからず、仏・衆生を化せんと・をぼせども結縁(けちえん)うすければ八相を現ぜず

開目抄(214ページ)

■9月27日

我釈尊の遺法をまなび仏法に肩を入れしより已来(このかた)知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす

聖愚問答抄(491ページ)

■9月28日

相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ念仏者は瞿伽利(くぎゃり)尊者・持斎等は善星比丘なり、在世は今にあり今は在世なり、法華経の肝心は諸法実相と・とかれて本末究竟等とのべ(宣)られて候は是なり

種種御振舞御書(916ページ)

■9月29日

雪山の寒苦鳥(かんくちょう)は寒苦にせめられて夜明(あけ)なば栖(す)つくらんと鳴くといへども日出でぬれば朝日のあたた(暖)かなるに眠り忘れて又栖をつく(造)らずして一生虚(むなし)く鳴くことをう一切衆生も亦復是くの如し

新池御書(1440ページ)

■9月30日

日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ

四菩薩造立抄(989ページ)