法は必ず国をかんが(鑑)みて弘むべし、彼の国によかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず
浅は易く深は難しとは釈迦の所判(しょはん)なり浅を去て深に就くは丈夫の心なり
石を金にかうる国もあり・土をこめ(米)にうるところもあり、千金の金をもてる者もうえ(餓)てし(死)ぬ、一飯をつと(苞)につつめる者に・これをと(劣)れり
日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母(親)なり
先ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華教の五字の次第の祭なり――五月五日は蓮の一字のまつりなり――此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏(あんのん)後生善処(ごしょうぜんしょ)疑なかるべし
六道四生の衆生に男女あり此の男女は皆我等が先生の父母なり、一人ももれ(漏)ば仏になるべからず故に二乗をば不知恩の者と定めて永不成仏(ようふじょうぶつ)と説かせ給う孝養の心あまねからざる故なり
明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり
法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間獄は疑いなかるべし
一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。日蓮となのる事自解仏乗(じげぶつじょう)とも云いつべし――経に云く「日月の光明の能く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く斯(こ)の人世間に行じて能く衆生の闇を減す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ
涅槃経に云く「菩薩(ぼさつ)悪象(あくぞう)等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ悪知識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ・悪象(あくぞう)の為に殺されては三趣(しゅ)に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣(さんしゅ)に至る」
願くは我を損(そん)ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶(たす)くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母には未だ死せざる已前(いぜん)に大善を進めん
去(いぬ)る弘長元年太歳辛酉五月十二日に御勘気を蒙(こうむ)つて・伊豆の国・伊東の郷(ごう)と云う処に流罪せられたりき
何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし
日蓮は彼の不軽菩薩に以たり――日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや
滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には中には日蓮を以て正と為すなり
我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為(た)るべし
賢人の習い三度(みたび)国をいさむるに用いずば山林にまじわれと・いうことは定まるれい(例)なり
種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり
日蓮が法華経の知解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
此の五字の大曼荼羅(まんだら)を身に帯し心に存せば諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱(のが)るべしと仏・記しをかせ給いぬ
帝王は国家を基(もとい)として天下を治め人臣は田園を領(りょう)して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼(しんぴつ)し自界叛逆(ほんぎゃく)して其の地を掠領(りゃくりょう)せば豈(あに)驚かざらんや豈騒(さわ)がざらんや、国を失い家を滅(めつ)せば何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思わば先ず四表の静謐(せいひつ)を禱(いの)らん者か
若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈(あ)に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや
すでに年五十に及びぬ余命いくばくならず、いたづらに曠野(こうや)にすてん身を同じくは一身法華のかた(方)になげて雪山童子・薬王菩薩の跡(あと)をおひ仙予(せんよ)・有徳(うとく)の名を後代に留めて法華・涅槃(ねはん)経に説き入れられまいらせんと願うところなり
在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととな(唱)へさすべし、名は必ず体にいたる徳あり
所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那(だんな)等の父母所生の肉身是なり
仁王経に云く――四方の賊来つて国を侵(おか)し内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて・百姓荒乱(こうらん)し・刀兵(とうひょう)劫(こう)起らん・是くの如く怪(け)する時を七の難と為すなり
生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず――如度得船(にょととくせん)の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子檀那等なり
但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず
某(それがし)は愚癡(ぐち)の凡夫・血肉の身なり三惑一分も断ぜず只法華経の故に罵詈(めり)・毀謗(きぼう)せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂(ひじ)を焼き髄(ずい)をくだき・頭をはねられたるに・なぞ(擬)らへんと思ふ
今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり、梵天・帝釈・四大天王・転輪聖王(てんりんじょうおう)の家に生まれて三界・四天をゆづられて人天・四衆に恭敬(くぎょう)せられんよりも恩重きは今の某が父母なるか
南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや