日蓮一人はじめは南妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし・是あに池涌の義に非ずや
我等現(げん)に此の大難に値うとも後生は仏になりなん、設えば灸治(やいと)のごとし当時(とうじ)はいた(痛)けれども後の薬なればいた(疼)くていたからず
日蓮悲母(はは)をいのりて候しかば、現身に病をいや(治)すのみならず四箇年の寿命をのべたり
人をあだ(怨)むことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ
日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし――遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうち(同士打)はじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべし
都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり、鎧を著たる兵者(つわもの)は多けれども戦に恐れをなさざるは少なきが如し
日蓮御坊は師匠にておはせども余(あまり)にこは(剛)し我等はやはら(柔)かに法華経を弘むべしと云んは蛍火(ほたるび)が日月をわらひ蟻塚(ありづか)が華山(かざん)を下(くだ)し井江が河海をあなづり鳥鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべしわらふなるべし
経文には棄恩入無為・真実報恩者と説いて今生の恩愛をば皆すてて仏法の実の道に入る是れ実に恩をしれる人なりと見えたり
法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ
夫れ未崩(みぼう)を知る者は六正の聖臣なり法華を弘むる者は諸仏の使者なり
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり
戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時勅宣(ちょくせん)並に御教書(みきょうしょ)を申し下して霊山浄土に以たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事(じ)の戒法と申すは是なり
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す身延山久遠寺の別当(べっとう)たるべきなり、背(そむ)く在家出家どもの輩(やから)は非法の衆たるべきなり
謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし
一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ、縦(たと)ひ頸(くび)をば鋸(のこぎり)にて引き切り・どう(胴)をばひし(稜)ほこ(鉾)を以て・つつき・足にはほだしを打つてきり(錐)を以てもむとも、命のかよはんほどは南妙法蓮華経・南妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死(しぬ)るならば――慥(たし)かに寂光の宝刹(ほうせつ)へ送り給うべきなり
但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世・正直の者にては候へ
人の寿命(いのち)は無常なり、出る気(いき)は入る気を待つ事なし・風の前の露尚(なお)譬(たと)えにあらず、かしこ(賢)きもはかな(愚)きも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先(まず)臨終の事を習うて後に他事を習うべし
少しも妻子眷属(けんぞく)を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛(ばく)を切つて仏果を遂げしめ給え
大地はささばはづ(外)るるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみち(満)ひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず
正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時と定めて権実雑乱(ぞうらん)の砌(みぎり)なり
命限り有り惜(おし)む可からず遂に願う可きは仏国也
一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹(つつ)み末代幼稚の頸に懸(か)けさしめ給う
聖人国を捨て善神瞋(いかり)を成し七難並びに起つて四海閑(しず)かならず――就中(なかんずく)日蓮生を此の土に得て豈(あに)吾が国を思わざらんや
「三世の諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからず」と説かれ大論には「清風は・とると云えども女人の心はとりがたし」と云へり。此くの如く諸経に嫌(きら)はれたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば忽に仏になりき
今本時の娑婆(しゃば)世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり
譬えば塔をくむに足代(あししろ)をゆ(結)ふが如し念仏は足代なり法華経は宝塔なり法華を説給(ときたもう)までの方便なり法華の塔を説給(ときたもう)て後は念仏の足代をば切り捨べきなり――法華の序分・無量義経には四十余年未顕真実(みけんしんじつ)と説給て念仏の法門を打破り給う
おのづから・よこしまに・降(ふる)雨はあらじ・風こそ夜の・窻(まど)をうつらめ
仏法は時によるべし日蓮が流罪(るざい)は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦(よろこ)ばし
当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留(とどむ)べし
ただ一えん(円)におもい切れ・よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ、ひだるし(空腹)とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん(寒)地獄ををしへよ、をそろしと・いわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)ねこ(猫)にあえるねずみ(鼠)を他人とをもう事なかれ
円機純熟の国に生を受けて徒に無間大城に還らんこと不便とも申す許(ばか)り無し、崑崙(こんろん)山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り・栴檀(せんだん)林に入つて瞻蔔(せんぷく)を蹈(ふ)まずして瓦礫(がりゃく)の本国に帰る者に異ならず