一念信解(しんげ)の功徳は五波羅蜜(はらみつ)の行に越へ五十展転(てんでん)の随喜(ずいき)は八十年の布施に勝れたり
凡夫にてあらん時は世世・生生・夫婦とならん仏にならん時は同時に仏になるべし
先ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華教の五字の次第の祭なり――三月三日は法の一字のまつりなり此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を
大将軍よは(弱)ければ・したがうものも・かいなし、弓よはければ絃(つる)ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり
仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり
鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈(あに)真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為(これ)第一・此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」
かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸(さいわい)をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈(ともしび)の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼(かし)こへまはり此(ここ)へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり
我が門家(もんけ)は夜は眠りを断(た)ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿(なか)れ
極楽(ごくらく)百年の修行は穢土(えど)の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか
権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ籠り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪(もっけ)にあらずや
貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり
日蓮は世間には日本第一の貧(まず)しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提(えんぶだい)第一の富(とめ)る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押(おさ)へ難く
一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし
一丈のほり(堀)を・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか
彼の人御死去ときくには火にも入り水にも沈み・はし(走)りたちても・ゆひて御はか(墓)をも・たたいて経をも一巻読誦(どくじゅ)せんとこそ・おもへども賢人のならひ心には遁世(とんせ)とは・おもはねども人は遁世とこそ・おもうらんに・ゆへもなくはしり出ずるならば末へも・とをらずと人おもひぬべし、さればいかにおもひたてまつれども・まいるべきにあらず
いかにも・いかにも追善供養を心のをよ(及)ぶほどはげ(励)み給うべし
信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り足なくして千里の道を企(くわだ)つるが如し
定業の者は薬変じて毒となる法華経は毒変じて薬となると見えて候
もし・さきにたたせ給はば梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・四大天王・閻魔(えんま)大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしん(芳心)なき事は候はじ
丈六のそとば(窣堵波)をたてて其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率(とそつ)の内院に生れん
只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福(さいわい)や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし
問うて云く末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし
法華経の法門を一文一句なりとも人に・かたらんは過去の宿縁(しゅくえん)ふか(深)しとおぼしめすべし
我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり、譬えば種子(たね)と菓子(このみ)と身と影との如し
日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天・世間の眼にあらずや
念を一境にする、定に似たり専(もっぱら)子を思う又慈悲にも・にたり
人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医・薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失(とが)となるか
「仏日西に入つて遺耀(いよう)将(まさ)に東に及ばんとす此の経典東北に縁有り汝慎んで伝弘(でんぐ)せよ」云々、予此の記の文を拝見して両眼滝の如く一身悦びを遍(あまね)くす――正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり
澗底(かんてい)の長松未だ知らざるは良匠の誤り闇中の錦衣を未だ見ざるは愚人の失(とが)なり
しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさか(境)ひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり