■10月1日

日蓮一人はじめは南妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし・是あに池涌の義に非ずや

諸法実相抄(1360ページ)

■10月2日

我等(げん)に此の大難に値うとも後生は仏になりなん、設えば灸治(やいと)のごとし当時(とうじ)いた()けれども後の薬なればいた()くていたからず

聖人御難事(1190ページ)

■10月3日

日蓮悲母(はは)をいのりて候しかば、現身に病をいや()すのみならず四箇年の寿命をのべたり

可延定業書(985ページ)

■10月4日

人をあだ()むことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ

開目抄(228ページ)

■10月5日

日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし――遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうち(同士打)はじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべし

種種御振舞御書(911ページ)

■10月6日

都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり、鎧を著たる兵者(つわもの)は多けれども戦に恐れをなさざるは少なきが如し

松野殿御返事(1384ページ)

■10月7日

日蓮御坊は師匠にておはせども(あまり)こは()し我等はやはら()かに法華経を弘むべしと云んは蛍火(ほたるび)が日月をわらひ蟻塚(ありづか)華山(かざん)(くだ)し井江が河海をあなづり鳥鵲(かささぎ)鸞鳳(らんほう)をわらふなるべしわらふなるべし

佐渡御書(961ページ)

■10月8日

経文には棄恩入無為・真実報恩者と説いて今生の恩愛をば皆すてて仏法の実の道に入る是れ実に恩をしれる人なりと見えたり

聖愚問答抄(493ページ)

■10月9日

法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ

土籠御書(1213ページ)

■10月10日

夫れ未崩(みぼう)を知る者は六正の聖臣なり法華を弘むる者は諸仏の使者なり

一昨日御書(183ページ)

 御難 佐渡御配流 文永8年

■10月11日

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり

弘安五年壬午九月 日  日蓮 在御判
血脈の次第 日蓮日興
身延相承書(1600ページ)

■10月12日

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王(うとくおう)覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時勅宣(ちょくせん)並に御教書(みきょうしょ)を申し下して霊山浄土に以たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ()の戒法と申すは是なり

三大秘法稟承事(1022ページ)

 本門戒壇の大御本尊建立 弘安2年

■10月13日

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す身延山久遠寺の別当(べっとう)たるべきなり、(そむ)く在家出家どもの(やから)は非法の衆たるべきなり

弘安五年壬午十月十三日  武州池上
日蓮在御判
池上相承書(1600ページ)

 宗祖御入滅 弘安5年

■10月14日

謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし

曽谷殿御返事(1056ページ)

■10月15日

一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ、(たと)(くび)をば(のこぎり)にて引き切り・どう()をばひし()ほこ()を以て・つつき・足にはほだしを打つてきり()を以てもむとも、命のかよはんほどは南妙法蓮華経・南妙法蓮華経と唱えて唱へ死に(しぬ)るならば――(たし)かに寂光の宝刹(ほうせつ)へ送り給うべきなり

如説修行抄(504ページ)

■10月16日

但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世・正直の者にては候へ

法門申さるべき様の事(1272ページ)

■10月17日

人の寿命(いのち)は無常なり、出る(いき)は入る気を待つ事なし・風の前の露(なお)(たと)えにあらず、かしこ()きもはかな()きも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば(まず)臨終の事を習うて後に他事を習うべし

妙法尼御前御返事(1404ページ)

■10月18日

少しも妻子眷属(けんぞく)を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の(ばく)を切つて仏果を遂げしめ給え

弟子檀那中への御状(177ページ)

■10月19日

大地はささばはづ()るるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみち()()ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな()はぬ事はあるべからず

祈祷抄(1351ページ)

■10月20日

正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固(とうじょうけんご)白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時と定めて権実雑乱(ぞうらん)(みぎり)なり

如説修行抄(503ページ)

■10月21日

命限り有り(おし)む可からず遂に願う可きは仏国也

富木入道殿御返事(955ページ)

■10月22日

一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を(つつ)み末代幼稚の頸に()けさしめ給う

観心本尊抄(254ページ)

■10月23日

聖人国を捨て善神(いかり)を成し七難並びに起つて四海(しず)かならず――就中(なかんずく)日蓮生を此の土に得て(あに)吾が国を思わざらんや

一昨日御書(183ページ)

■10月24日

「三世の諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからず」と説かれ大論には「清風は・とると云えども女人の心はとりがたし」と云へり。此くの如く諸経に(きら)はれたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば忽に仏になりき

法華経題目抄(946ページ)

■10月25日

今本時の娑婆(しゃば)世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり

観心本尊抄(247ページ)

■10月26日

譬えば塔をくむに足代(あししろ)()ふが如し念仏は足代なり法華経は宝塔なり法華を説給(ときたもう)までの方便なり法華の塔を説給(ときたもう)て後は念仏の足代をば切り捨べきなり――法華の序分・無量義経には四十余年未顕真実(みけんしんじつ)と説給て念仏の法門を打破り給う

念仏無間地獄抄(98ページ)

■10月27日

おのづから・よこしまに・(ふる)雨はあらじ・風こそ夜の・(まど)をうつらめ

三沢御坊御返事(1486ページ)

■10月28日

仏法は時によるべし日蓮が流罪(るざい)は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に(よろこ)ばし

開目抄(237ページ)

■10月29日

当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に(とどむ)べし

開目抄(223ページ)

■10月30日

ただ一えん()におもい切れ・()からんは不思議わる()からんは一定とをもへ、ひだるし(空腹)とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん()地獄ををしへよ、をそろしと・いわばたか()にあへるきじ()ねこ()にあえるねずみ()を他人とをもう事なかれ

聖人御難事(1190ページ)

■10月31日

円機純熟の国に生を受けて徒に無間大城に還らんこと不便とも申す(ばか)り無し、崑崙(こんろん)山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り・栴檀(せんだん)林に入つて瞻蔔(せんぷく)()まずして瓦礫(がりゃく)の本国に帰る者に異ならず 

教行証御書(1278ページ)