■4月1日
月は山よりいでて山をてらす、わざわい は口より出でて身をやぶる・さいわい は心よりいでて我をかざる
十字御書(1492ページ)
■4月2日
ぜにと云うものは用に・したがつて変ずるなり、法華経も亦復是くの如し、やみには燈となり・渡りには舟となり・或は水ともなり或は火ともなり給うなり、若し然らば法華経は現世安穏・後生善処の御経なり
弥源太殿御返事(1227ページ)
■4月3日
我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ・忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事・是れ偏に過去の宿習なるか
最蓮房御返事(1340ページ)
■4月4日
臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし
持妙法華問答抄(466ページ)
■4月5日
日蓮は日本第一の法華経の行者蒙古国退冶の大将為り「於一切衆生中亦為第一」とは是なり
極楽寺良観への御状(174ページ)
■4月6日
無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪知・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし
開目抄(235ページ)
■4月7日
南無妙法蓮華経と申せば南無阿弥陀仏の用も南無大日真言の用も観世音菩薩の用も一切の諸仏・諸経・諸菩薩の用皆悉く妙法蓮華経の用に失なはる、彼の経経は妙法連華経の用を借ずば皆いたづらのものなるべし
報恩抄(326ページ)
■4月8日
此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり
三大秘法稟承事(1023ページ)
第3回国諫 文永11年
■4月9日
我が身は天よりもふらず地よりも出でず父母の肉身を分たる身なり、我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり
出家功徳御書(1252ページ)
■4月10日
伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」
曾谷入道殿許御書(1039ページ)
■4月11日
小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ
光日坊御書(930ページ)
■4月12日
一切の事は父母にそむき国王にしたがはざれば不孝の者にして天のせめをかうふる、ただし法華経のかたきに・なりぬれば父母・国主の事をも用ひざるが孝養ともなり国の恩を報ずるにて候
王舎城事(1138ページ)
■4月13日
大智・舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや
聖愚問答抄(499ページ)
■4月14日
一をもつて万を察せよ庭戸を出でずして天下をしるとはこれなり
報恩抄(295ページ)
■4月15日
夫れ以れば此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり
聖愚問答抄(487ページ)
■4月16日
此の法門のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし
兄弟抄(1088ページ)
■4月17日
日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも・大地は反覆する事はありとも・大海の潮はみちひぬ事はありとも、破たる石は合うとも江河の水は大海に入らずとも・法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず
月水御書(1201ページ)
■4月18日
月はいみじけれども秋にあらざれば光を惜む・花は目出けれども春にあらざればさかず、一切・時による事なり
妙蜜上人御消息(1238ページ)
■4月19日
一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろ いいだ さず但我が天台智者のみこれをいだ けり
開目抄(189ページ)
■4月20日
日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり
上野殿御返事(1558ページ)
■4月21日
日本国の男は提婆がごとく・女は竜女にあひにたり、逆順ともに成仏を期すべきなり・是れ提婆品の意なり
上野殿御返事(1556ページ)
■4月22日
日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり
四条金吾殿御返事(1169ページ)
■4月23日
生を此の三界に受けたる者苦を離るる者あらんや、羅漢の応供すら猶此くの如し況や底下の凡夫をや、さてこそいそぎ生死を・離るべしと勧め申し候へ
大田左衛門尉御返事(1014ページ)
■4月24日
金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる
妙蜜上人御消息(1241ページ)
■4月25日
釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ
諸法実相抄(1358ページ)
■4月26日
儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後生を扶くれば聖賢の名はあるべけれ
開目抄(223ページ)
■4月27日
女人となる事は物に随つて物を随える身なり夫たのしくば妻もさかふべし夫盗人ならば妻も盗人なるべし
兄弟抄(1088ページ)
■4月28日
去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷・今は郡なり――此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり
聖人御難事(1189ページ)
宗旨御建立 建長5年
■4月29日
仏法は王法の崇尊に依つて威を増し王法は仏法の擁護に依つて長久す
四十九院申状(849ページ)
■4月30日
法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし
種種御振舞御書(910ページ)